国鉄宮古臨港線(岩手県)その5





余談ではあるが、保存運行されていたSLについて少し語ろう
ここで運転されていた蒸気機関車はC10型と言い、昭和5年に製造された機関車である
元々は都市近郊旅客列車用として設計されたが軸重がやや重く地方線での運用に難があった為
23両製造されただけで、早くもC11型に取って代わられた
そのうちの8号機をラサ工業が自社の専用線で使用する為、国鉄より譲り受け
長らく同社専用線で活躍していたが、やがてラサ工業も自社発注のDD16型ディーゼル機関車(DD5201)を
導入した為、この蒸気機関車は予備機として車庫に眠っていたのだという。
やがて山田線の貨物取扱が中止され、同時にラサ工業の専用線も廃止された時
この日本に一両しか存在しないC10型蒸気機関車に市が注目
同社より譲り受け三陸鉄道株式会社を主体とする保存会が発足して整備保存することとなった
しかし法規上JRの営業線を走らせることは難しかったため市では宮古臨港線をJRより譲り受け
ここで保存運行した。

なお、あくまでも営業用の列車では無いので運賃徴収は出来ず、市では「カンパ」と称した寄付金を
実質の運賃としてその運用費用に充てたのだが、いかんせん路線が街と長大な防潮堤に挟まれた
1.5kmの短距離であり、また設置駅も中途半端な場所だったため2年ほどで運行停止された
その後C10型8号機は静岡県の大井川鉄道に譲渡され、現在では同線で一番元気な機関車として
第一線で活躍している




まずは分岐点より保留線跡を辿ってみる
保留線は分岐した後も防潮堤に沿って進み
やがて巨大な防潮堤の水門に差し掛かる




防潮堤の水門部
この防潮堤は津波対策として昭和40年に建設された高さ5m程のコンクリートの壁である
車両が通行する場所にはそれぞれ水門が設置されていて、津波警報が発令されると一斉に閉められる
この廃線跡にある水門も車両の通行こそは無くなったが近隣の鉄工所が敷地を使用するために
開閉出来るよう整備されて、常時開いた状態になっている




保留線は僅かにカーブをしながら本線とは微妙に離れた位置を通る
この撮影場所付近で更に保留線は分岐し、2線分のレールが引かれていた




現在の保留線跡
市が超莫大な税金を費やして建設したシートピア「なあど」が建設され
今ではその痕跡が全く無くなってしまった。
当時の保留線を思い出すと、レールはコンクリートに埋設された
いわゆる併用軌道となっており、休憩中のトラックと一緒になって
数両のワムが停車していた。




続いて分岐点に戻り、本線跡を歩いてみる
本線は分岐した後すぐにカーブをして港までの道路を横切る
ここは第1種甲踏切道が設置されており、道幅も広いせいもあり
左右に遮断機が設置されていたと記憶している
そしてここにもしっかりと路盤跡が残されていた




踏切付近に残る基礎跡
状況から恐らく第1光岸地と同じく
踏切の左右に設置されていた
防護柵の跡と思われる



防潮堤も保留線の水門で直角に曲がる為
本線側も防潮堤に沿って走る
そして防潮堤はこの水門で左側の山に接続され終了するわけだが
こちらの水門は廃線後敷地の再利用が無い為に閉ざされて放置されている
多分もう開く事も無いだろう・・





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