JR内房線 旧岩富隧道





旧岩富隧道の名は新線に掘られた岩富隧道に由来するものであるが
正確な名称は南無谷隧道である。
当初新線の方も南無谷隧道と名付けられる予定であったが
関係者より「南無阿弥陀仏と似通っているので縁起が悪い」とクレームを付けられ
新線トンネルは近辺の地名を取り岩富隧道となった。
そして、その新線のトンネル名により旧南無谷隧道の方も
旧岩富隧道と呼ばれている様である





更に奥へと進む。強力ライトで照らし出しても崩落点はまだ見えない。
水深はすでに胸上へと達していた




振り返り坑口を望む
時間が掛かった割には、そんなに奥までは来ていない
これは入坑数mにしてあっという間に水深が腰を越えたので
進行速度が極端に遅くなった為である




この先深みは増す
ここで自分撮りをしてみた
水深は両脇付近であるが更に深くなりそうである
この隧道は恐らく千葉側が低い片勾配で中央若しくは千葉側坑口が
埋没等をしている可能性がある。
これ以上の進行となると泳いで行くしかないのであるが
(現時点でつま先立ちで半泳ぎ状態なのだが・・)
ライトとカメラが非防水な為、坑口100m程の進入であえなく断念
崩落地点の確認も行えないまま帰投を決断した。




進行不能、そして撤退・・
最後に再度坑口より内部を望む







開通後、たった5年という短い生涯だった旧岩富隧道。
しかし応急処置とはいえ震災後から新線開通までの3年間
間違いなくこの隧道を列車は走った
幾つもの素堀トンネルが通るこの房総半島、もしかしたら
今でも修復箇所は当時のままで残り通り抜け出来るかもしれない
千葉側坑口の調査を含め、水没隧道用の重装備を整えた後に
再度トライしてみたいと思う。



〜〜 JR内房線 岩富隧道 〜〜

全長 748m
幅  4.8m

大正 7年 8月10日 木更津線開通と同時に供用開始
大正 8年        安房北条(今の館山)まで開通と同時に北条線と改名
大正12年 9月 1日 関東大震災により崩落、不通になる
大正12年11月28日 復旧
大正15年11月     西側に岩富隧道完成、旧線は破棄される
昭和 4年        房総循環鉄道開通、内房線と改名





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