ラサ工業田老鉱山(岩手県)5





田老鉱山の概略は以上である。
しかし田老鉱山を語るには「ラサ工業宮古精錬所」についても語らなければいけない。
田老鉱山で産出された銅は鉱山から索道で約30Kmほど離れた宮古市の宮古港へと運ばれる。
そこで一部は船に積まれ他の精錬所へと出荷されるが、残りは旧国鉄の宮古港駅で積み込みを行い
宮古臨港線で宮古駅へと運ばれる。その後入れ替え作業等を行い、山田線とラサ専用線を経て精錬所へと運ばれる。
なおこのラサ専用線で活躍していたSLこそが鉄ヲタ間で有名な大井川鉄道で動態保存されている
日本で唯一現存するC10型機関車「C10−8」である。




精錬所跡は現在でも工場等が立ち並び、関係者以外立ち入り禁止であるので
精錬所のシンボル「ラサの大煙突」を見てみる。
宮古市内から見える煙突を裏側から撮影、煙突の途中までハシゴが設置されている。




煙突を下から見上げる。
昭和14年6月に精錬所と共に稼働を始めたこの巨大煙突は精錬時に発生する亜硫酸ガスを
上空で拡散する為に立てられた煙突で高さは160mある。
実際は90mの山の上に立っているので、トータルでの高さは約250mである。
長らく日本一の煙突であったが近年東京電力鹿島火力発電所に抜かれ、日本で2番目に高い煙突である。
※現在では各所に新造された煙突に次々と抜かれ大分順位は下がったようである。
ちなみに丸い枠を積み重ねる古い工法の煙突としては現在でも日本一の高さである。




大きさの比較の為に同行した友人を立たせる。
直径は10m・・ いかに巨大な煙突かが良く判る。




取り壊された煙突の煙道
高さは約3mほどあり煙道だけでもダイナミックである。
内部は鉄板で封鎖されているがこの煙突自体は精錬所が閉鎖された今でも
現役で使用されている。




煙突に埋め込まれた銘板
設計主任や工事主任等の名前が刻まれている。




ラサ工業の手を離れたこの巨大煙突は現在(株)合同資源産業の所有になり
同社により使用されている煙突からは時折陽炎が立ち上る・・
ちなみにこの煙突の頂上に排出される強酸性の亜硫酸ガスに耐える為
全てが純金で出来た長さ2m程の避雷針が設置されていたという噂がある。
地元TV局がヘリやロッククライミングの達人を使用し特番を組んで調査したが
結局は真相不明である。ラサ工業にも資料が無いとの事・・・









正月に帰省した際の訪問となったが帰省中の殆どの時間をこのページ作成に費やしました
正月休みの帰省と言うよりは鉱山訪問の為の帰省みたいな感じ・・
久々の家族団らんもおろそか、つくづく親不孝者である(w
次回帰省時は今回公開出来なかった宮古臨港線とラサ工業専用線跡を
公開予定です。

〜〜 ラサ工業 田老鉱山 〜〜

大正7年   個人により鉄鉱石採鉱
大正8年   ラサ島燐砿株式会社(現ラサ工業株式会社)が買収、採鉱開始
大正12年  不況により中止
大正15年  採鉱開始
昭和4年   不況により中止
昭和8年   本鉱床着脉
昭和11年  本鉱床本格的操業
昭和20年  軍需省令により休山
昭和21年  操業再開
昭和36年  フェーン現象による三陸大火で全施設焼損
昭和37年  面目を一新、全施設完成 操業開始
昭和46年  鉱石品質低下、埋蔵鉱量減少の為閉山
昭和49年  学校法人「明星学苑」に譲渡





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