県道188号線旧大貫隧道 その3





内部を一通り見ながら進むとあっという間に出口へと到着する。
確かに不気味で怖いトンネルと言えばそうだが・・意外な事実が!




もう出口へと到着した。
全長210mもあるのだが・・なんだか
そんなに長くは感じられなかった。
ところで写真右側になにやら板の様な物があるのだが・・??




なんと!千倉側坑口には石版で作られた銘板が設置されていた。
これによりこの隧道の全貌が明らかになる。

「國?道震災復興工事
 大正十三年二月起工
 大正十五年九月竣工
 隧道長サ百十五間
 道踏長サ百十間

 大正十五年九月二十日??」


大正12年9月に関東一帯を襲った関東大震災。
甚大な被害を負ったこの地域の交通網も恐らく寸断されたであろう・・
この大貫隧道はそんな大震災の復興工事として掘られた物であった。
壁面にビッシリと蚤の跡が残る不気味な素堀隧道・・
そんな蚤の跡一つ一つに震災の早期復興を目指す
工夫達の熱い思いが込められている様にも思えてくる




そして千倉側坑口へと到着する
出口から現県道までは僅かな距離なのだが
恐ろしく深い藪で覆われていた



振り返り館山側坑口を見る。
このクッキリと洞内に刻まれた地層は
ダーピダイトと呼ばれる物で、房総半島で良く見る事が出来る。




そしてもう一度洞内を通り再度館山側坑口へと戻ってきた。
こちらはよく見ると坑口に金網を張り、コンクリートを吹き付けてあった。
そして大量に口を開けている謎の塩ビ管が・・・







この隧道は実は2度目の訪問となる。
1度目はちょっとビビリが入ってしまい入り口を見て退散となったが
今回は無事通り抜ける事が出来、尚かつ新たな発見をする事が出来た。
震災復興の願いを込められて掘られた大貫隧道
今では役目を終えひっそりと眠っている・・



〜〜 県道188号線 大貫隧道 〜〜

着工 大正13年2月
竣工 大正15年9月
廃止 不明

長さ  210m
幅   4.3m
有効高 4m
素堀、C舗装

※日本の廃道 隧道データベースより





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