国道13号線旧線「万世大路」福島側その10(福島県)





昭和47年より交通が断絶した旧国道
しかし歴史あるこの道路はやがて国交省のパンフとなり
そして道を愛する「オブローダー」達の手により
WEB上へ発信され多くのマニアを虜にした。
萬世大路、その役目を終え奥羽山脈に眠る道よ・・
その名の如く萬世の永きに渡り人々に愛される道となれ・・




第二崩落点を下から望む
隧道の内径を上回る大量の土砂は
決して狭くは無い隧道を完全に塞込んでしまった




第二崩落点の瓦礫をよじ登る
頭上には隧道の数倍はあろう巨大な空間が出来ていた
恐らく崩落土砂は第一崩落点の倍はあるだろう・・



第二崩落点より第一崩落点を望む
目線の下に隧道の天井が見える
いかに崩落した土砂が大量なのかが伺える




崩落点以上はどうあがいても進む事が出来ない
しかし、もう満足である。目的は達成出来た
そして帰り際に県標の反対側を清掃して来た




この足で萬世大路を歩き、この目で崩落点を見てきた
我々3人は満足しこの古き隧道を後にする
さらば栗子隧道、次は山形側だ!!




帰り道、あまりの景色の良さに一枚撮影
現道時代もこんなに景色が良かったのだろう・・
しかし景色が良い道路というものは積雪や崩落
大概が何らかの問題を抱えているのである・・







山形県初代県令三島通庸により築き上げられた前代未聞の大工事「万世大路」
しかし本文中で触れなかったがこの大工事には地元住民の大きな負担があった
総工事費は当時の金額で127,000円、その内訳は官費32,000円に対して
民費95,000円のと約75%を民間から調達している。
更に労働力も地元住民をほぼ無償という形で雇用していた
反発・批判する者は当時の法律に照らし厳しく処罰する
故にこの三島は「鬼県令」の代名詞にもなった。

悲願の奥羽横断は地元にとって悲痛の道路にもなった訳である



〜〜 旧国道13号線「萬世大路」 〜〜

総延長         50.3 km (道路元標:福島町11丁目)
二ッ小屋隧道      L=384m
栗子隧道        L=870m(昭和改修:L=866m)

明治9年         新道工事開始
明治14年10月3日  開通式
明治14年11月     国道三等指定
明治18年        国道39号認定
大正9年         国道5号認定
昭和8年〜11年    改修工事、
昭和27年        国道13号認定
昭和41年        現東・西栗子トンネル開通に伴い廃止
昭和47年        栗子隧道崩落により通行不能
平成10年        東北中央自動車道用の全長10Kmにも及ぶ新トンネルを計画
               栗子峠としては第四世代のトンネルとなる(現在掘削工事中)





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