国道340号線 雄鹿戸隧道(岩手県)





私は基本的に幽霊の類に関する話は肯定的である。
しかし土木工事などで不幸にも命を落とした人たちに関して
おもしろおかしく心霊現象を結びつける事はあまり良く思わない。
尊い犠牲の上に我々の便利な生活がある。犠牲者が出た隧道なら
その人たちに敬意と感謝をし、心の中でお礼を述べながら突入する・・
これが私の基本スタンスである。
「工事で犠牲になった人の怨念が・・」とか語るのはもってのほかである。





坑門の観察を終え、洞内を歩いてみる。
隧道内は近年に照明の設置工事が行われナトリウム灯により明るく照らされている
記憶に残る限りでは照明設置前のこの隧道は無照明で真っ暗な闇が続いていたのだが
土木学会デジタルアーカイブス内「本邦道路ロ隧道輯覧」の
設計資料によると開通当時は60W電球を20m間隔で19個設置したと記録が残っている。




隧道内部は当時としては標準的な物で、側壁はコンクリート
アーチ部はコンクリートブロックでの施工である。
昭和初期、コンクリートその物は大分普及していたが
隧道のアーチなど重力に反する部分へのコンクリート施工は
まだ技術的に未熟段階であり、その様な部分へはあらかじめ
コンクリート製のブロックを作っておき、煉瓦のように
貼り合わせて施工していた。




コンクリートブロック施工部
ここで噂その3である「人柱」についての話になるが
噂ではトンネル拡張時に側壁から人柱が出たという話ではあった。
しかし洞内には拡張工事をした痕跡を見る事が出来なかった。

仮に拡張工事をしたのであれば隧道の巻直しをしなければならないが
隧道内はご覧の通り開通当時のコンクリートブロックがそのままである。
もしも近年に拡張工事をしたのであれば、巻立て現在主流のコンクリート巻きにする筈であり
わざわざ手間のかかるコンクリートブロックで巻き直す事は全くメリットが無い。
従って拡張工事そのものが無かった物と思われる

また、人柱その物の話もかなり眉唾ものである。
工事の安全や神への祈願の為にする人柱、いわゆる人身御供は
伝説に残る物でしかなく、昭和初期にはすでにその様な物は無かったと思われる。

近年の建造物での人柱の例としてJR石北本線の常紋トンネルが有名であるが
この場合の人柱はタコ部屋労働の犠牲者を証拠隠滅のためトンネル内の待避所に
塗り込めた物であって、北海道と九州の一部にしか見られなかったタコ部屋労働が
この雄鹿戸にあったとは考えにくい。
そもそもこの時代になると工事記録として犠牲者や事故概要もしっかりと記録されており
わざわざ無意味に犠牲者を隠蔽する必要も無いはずである。




隧道を抜け岩泉側より望む。
こちら側は巻き立ての老朽化が見られた為か、コンクリートブロックを剥がし
新たにコンクリートで巻き直している。
人柱はここから出たという可能性もあるが、前途の理由により
人柱その物が眉唾物なので割愛する





コンクリートブロック施工面と補修面の接合部
どうやらブロックだけではなく側壁も剥がし
完全に巻き直した様である。




岩泉側坑口に残る安全祈願の木標。
こちらも宮古側と工定組による建立である。
なお、どちらも劣化が少ないので近年に立て直された物と思われる




噂その2で語られる「慰霊碑」
確かにお供え物などもあり一見慰霊碑の様に見えるが
実際は山の神を祭った山神の石碑である。
この石碑の実際の由来は「工事の際、一人の犠牲者も無く
安全に工事を終えることが出来た事を山の神様に感謝し
山神の碑を建てて祭ることにした」という事が真相であり。
工定組により建立された物である。

つまり慰霊碑と噂されているこの石碑こそ、この隧道工事で
犠牲者を一人も出さなかった証であり一連の噂を根本的に否定する
確かな証拠なのでもある。




近年の照明工事により設置された照明制御盤
この隧道は照明装置が少ないのであるが、その制御方法は
一般の国道トンネルと同じで、昼間の全点灯、夜間の間欠点灯
朝夕の太陽光を考慮した片坑口のみの全点灯、曇りの坑口のみ間欠点灯
であり、タイマーと照度センサーにより制御されている。




岩泉側の坑門、こちらも宮古側と同じデザインであるが
日照の関係上こちら側の方がやや劣化している様である。







古くより難所とされた府県道岩泉宮古線押角峠
隧道開通により高低差が129m、距離にして約7Km短縮された。
開通式の日、新里村と岩泉町からは小学生等が列をなしてこの隧道へ赴き
踊りや歌、坑門上からは祝いの餅撒きなども行われ
当時としては物凄い盛大な祝賀会が開かれたらしい。

今では心霊スポットとして悪名高い雄鹿戸隧道
しかしその実態は歴史と地元の悲願が詰まった
由緒正しき隧道であった。
このレポでその汚名を挽回し、愛着を持って頂ければ幸いである。

余談ではあるが沿岸通りの現国道45号線が整備される前は
岩泉町最東、沿岸の小本ですら一度岩泉に出て押角経由で宮古に出た方が
早かったらしい。

あ・・、噂その4はトンネルの怪談では定番なので割愛します。


〜〜 国道340号線 雄鹿戸隧道 〜〜

着工  昭和8年10月12日
竣工  昭和10年5月16日

長さ   579.7m
幅員   4.6m
限界高  5m(有効高4.5m) 
覆工   C、CB
舗装   C(竣工時)、As
照明   白熱電球(竣工時)、低圧ナトリウム灯
付随施設 駐車スペース(宮古側)、道路監視カメラ、路面温度計

参考資料「雄鹿戸隧道」(作者、出版社失念 岩手県立図書館蔵)





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